ヴェロニカさんと土器
こんばんは。ついに全国的に梅雨入りしましたね。じめじめとした日々が続きます。
そんな雨降る昨日、ヴェロニカさん宅へお邪魔しました。
1階の作陶場を覗くとロクロの上にかわいらしい湯のみがポツン、ポツンと佇んでおり
ました。その器たちを取り巻く工具を見るとそれこそ不思議なものが並んでいました。
その中でも貝殻や叩き具、なめし皮などは土器作りで用いられるものと全く同じでした。
そこで、ふと以前ヴェロニカさんが「縄文土器をみたい」とおっしゃっていたのを思い出しま
した。ということで、今から3年前の出来事を少しお話したいと思います。

私もまだ東京から山梨へ戻ってきて間もない頃でした。ヴェロニカさんとお会いするのは
確か4年ぶりだったと思います。2回ほどお宅にお邪魔したころ、「縄文土器をみたい」
とお願いされたのを覚えています。といいますのも私の職場には周辺地域で発見された
土器が保管されていたのです。私は一つ返事で「どうぞぜひお越しください」と答えまし
た。ヴェロニカさんに単純に土器をみてもらいたいという気持ちの他に、縄文土器とヴェ
ロニカさんが出会ったら一体何が起こるんだろうという好奇心や期待感に似た気持ちが
強くありました。

さて、ヴェロニカさんと土器が対面する日がやってきました。ヴェロニカさんを土器のある
部屋へ案内しました。ヴェロニカさんが土器を目にしたときの瞬間は部屋が不思議な
感覚で包まれていました。何とも形容しがたいですが、薄暗い大聖堂の石灰岩彫刻を眺
めているような厳かな感覚でした。土器はヴェロニカさんの腰よりも少し上の高さにあるほ
ど大きなものでした。
ヴェロニカさんは一言も口にせず、丹念に土器の文様を摩っていました。そして、別に用
意していた古墳時代の土器や平安時代の土器も手に持って丹念に至るところを撫でてい
ました。私は別に緊張する必要はないのに妙な緊迫感に捕らわれていました。それだけ
ヴェロニカさんの真剣さが醸し出す雰囲気に飲まれていたのでしょう。
そして、ポツリとヴェロニカさんが
「私は間違っていなかった。」
と口にしました。
私は頭の中がクエッションマークでいっぱいになり、じっと次の言葉を待ちました。
ヴェロニカさんはすっと二つの土器の底部をテーブルに並べました。
そしてようやく口を開きました。
「この土器の作者はこの底の粘土を外側から削って薄くしすぎたからまた粘土を内側から
張り付けてる。そして底は無駄に調整をせず、あえてこのギザギザを残している。」
「こっちの土器は底の粘土を厚くしている。とても丁寧。底もギザギザを削り取っている。」
「でも、この底のギザギザはとても好き、デザインになる。私も残している。そして底の
厚みは厚いものより、この薄手のものは技術的にとても難しい。」
「この薄手の底は私と全く同じ作り方。私が考えた技法だと思っていたけれど、
こんな昔の人も同じことを考えていた。私のやり方は間違えていなかった。」
とおっしゃっていました。

これはほんの一瞬のやりとりでしたが、私は3年経った今でもこのときの記憶が頭に
焼きついています。私にとってはそれほどに衝撃的でした。
何しろ土器の作り手の姿が土器を通して見えたのです。それは恐ろしいくらいの体験
でした。土器は土からできた土塊でしかないのですが、その裏には作り手がいました。
土を粘土に変え、粘土を練り、寝かせ、作り手が形を成し、炎で焼く。この流れの中に
確かに人間がいました。
私は無意識に作り手を意識から外し土器を眺めてきました。その意識の中に作り手の
存在が流れてきた時、今まで見てきた世界がガラッと劇的に変化し多様に花咲くよう
でした。そして土器は道具を超え、生き物にも似た息遣いが聞こえてくるようです。
ヴェロニカさんは土と人の関係を常々考えてきた方です。それは当時の私は知り得
なかったことですが、今となってはこれはヴェロニカさんの思索の賜物なのだなと思
います。いや、これは思索だけではたどり着けない領域かもしれません。
古代人と同じ技法を自然にみつけてしまったヴェロニカさんの意識は遥か遠い過去を
も旅してるのかもしれません。

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by masa
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by oochigama | 2009-06-23 22:49 | おもいで話
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