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大地窯へのルーツ その3
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感謝申し上げるとともに今後ともご贔屓賜りますようお願い申し上げます。

さて、長らく更新しておりませんでした「大地窯へのルーツ」について少しお話をさせていただきます。今回が一応の最終回です・・・。
前回は土師器・須恵器のお話をさせていただきました。今回は陶器の出現と大地窯の作品
から考えたことについてお話いたします。

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須恵器にも釉薬が掛ったようなものが見られますが、これは自然釉というもので、窯内でかぶった灰が溶け形成されたものです。平安時代初期にこれを人工的に行うようになります。これを灰釉(かいゆう)陶器と呼びます。愛知県の猿投(さなげ)窯から多く確認されています。
灰釉陶器が現れた頃、大陸や半島から緑・褐・白の3色でいろどられた唐三彩、緑釉陶器の製作技法が日本に伝播します。これらを模倣し奈良三彩や緑釉陶器が作られるようになります。

それらの製作技法を継いだ陶器が中世に入ると各地で作られるようになります。
それら窯を日本六古窯と呼びます(瀬戸・常滑・越前・信楽 ・丹波・備前)。
現在も陶器の産地と知られるところばかりです。陶器は近世に入るとさらに多様化
し、現在に至ります。

さて、大地窯のある上野原でもこういった陶器が遺跡から確認されています。
しかし、須恵器や灰釉陶器は主に静岡の湖西や東京の南多摩産の
ものに頼っており、地元で焼いて作ったというものはほとんどみあたりません。
なぜだろうと長年不思議に思っていました。

が、大地窯の粘土が一つヒントを与えてくれました。
大地窯の粘土は棚頭の粘土と白州の土を混ぜて作っています。棚頭の土だけでは
焼けないのでしょうか。棚頭の粘土は耐火度の低い青粘土と呼ばれるものだそうです。
つまり、それだけで陶器を作ろうとすると耐火度が低く溶けてしまうのです。
そこで、風化花崗岩などカオリンを含んだ土を粘土に混ぜ耐火度を確保します。
いわゆる「がいろめ粘土」です。
このことから考えると古代においては耐火度の低い粘土のせいで須恵器や灰釉
陶器を作り得なった可能性も考えられます(交易の問題など他に要因はたくさんあると思
いますが・・・)。

こんなことを想像しながらしげしげとヴェロニカさんの陶器を眺めていると上野原の古代人のうらやむ声が聞こえてきそうでした。

by masa
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by oochigama | 2008-12-20 21:06 | やきもの講座