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棚頭の土との出会い
みなさま、こんにちは。
雨が降るたびに春に一歩近づくこの頃、いかがお過ごしでしょうか?
大地窯のある山梨では、いよいよモクレンやコブシの花が咲き始めています。

さて今回は、大地窯で用いている陶土の、「白州の土」と「棚頭の土」のうちの、「棚頭の土」との出会いについて、お話しさせていただこうと思います。

そもそも「棚頭の土」とは、作者の自宅から採取される赤土のことです。

出会いは今から約20年前、ヴェロニカさんが現在暮らしている山梨県上野原市の、棚頭という地域に移り住んだことがはじまりです。

当時粘土を探していたヴェロニカさんは、家の近所の山を歩き、粘土を探しまわっていたそうです。
ところが、粘土になりそうな土はなかなか見つかりませんでした。

そしてある時、白倉さんという当時80歳のおじいさんが、ヴェロニカさんの家に何気なくやって来ました。
そこでヴェロニカさんは、「どこかに粘土になるようないい土はないか」
と白倉さんに聞いてみたそうです。

そしたら白倉さんは、ヴェロニカさんの家は山裾に建っているので、あらわになっている山土を取り、それをなめ、
まるで ”あなたバカね” とでも言うような顔をして、
ヴェロニカさんの目をじっと見たそうです。

そして言いました。
「これも粘土だ。」

その時の衝撃を、ヴェロニカさんは”目が覚めた”と振り返ります。
探していたものは、足元にあったのですね。

しばらくその土を水につけて置いておいたら、粘りが出て本当に粘土になりました。

ヴェロニカさんの話によると、白倉さんという方は、観音様のようなとても美しい顔をしていたそうです。
その美しさとは、長年生きてきた中で味わった苦しみや悲しみや喜び、そして繊細な感性など、いわば生き様の美しさが顔ににじみ出てるということなのだと思います。その表情はあらゆるものを包み込むような愛情に満ちたものだったでしょう。

今でも白倉さんの顔は、ヴェロニカさんにとって決して忘れられません。
ぜひ彼の顔を写真に撮らせてもらいたいと、切に望んでいました。
ところが、時は待ってはくれず人は確実に歳を重ね、
白倉さんもまた土にかえっていきました。

人もいつかは土になると思うと、土と人とは実は兄弟のような存在なのかもしれません。
何気なくある土の中には、さまざまな生命や、鉱物や、言葉では表現できない無類の粒子がつまっているのだと思います。
まるで宇宙のような粒たちをこねて、成形して、器にして、
日々の道具として使用する。
そんな陶芸の魅力は、やはり土という宇宙を身近に感じられることなのではないかと思います。

棚頭の土を教えてくれた白倉さんには、あらためて感謝したいと思います。
そして永遠にその魂も健やかであることをお祈り申し上げます。

by sai
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by oochigama | 2008-03-20 20:05 | 大地窯とは
陶芸教室の思い出(1988~1995)
 3月に入りだいぶ経ちました。先月までの寒さが嘘のように暖かい日が続きます。
暑さ寒さも彼岸までなどという言葉がありますが、今日のお彼岸初日はあいにくの
雨でそんな諺も実感することができません。そんな雨の休日皆さんはいかがお過ご
しでしょうか。退屈しのぎになるか分かりませんが、また少しばかり思い出話に耳を傾け
ていただければと思います。
今回は大地窯がまだ無く、ヴェロニカさんが陶芸・絵画教室をしていた頃のお話です。

 母親に連れられヴェロニカさんの教室へ行ったのは私がまだ幼稚園の年長の頃でした。
きっかけはヴェロニカさんの陶芸教室が地方紙に載ったことでした。その記事をみた母が教室へ行ってみようと私も連れて行ったのがはじまりでした。それから週一回教室へ足を運ぶことになりました。教室はコスモスという名で塾などのように形式ばったものでなく、枠にはまらない自由な創作活動の場でした。子供ながら学校とはずいぶん違うのだなと思ったのを良く覚えています。

 陶芸はとても印象深かったです。なにしろ自分で作りたいものが実際形になって出来上がるのですから、ウキウキと胸弾ませたものです。陶芸でまずはじめに行ったのが、粘土内の空気を抜くための捏ねる作業です。捏ねれば捏ねるだけいいいうことで、コスモスに通ってくる同年代の子とよく回数を競いました(たしか2000回が当時の最高記録でした、捏ねるというよりは叩いていましたが)。そして私が一番先に作ったのがラーメンどんぶりでした。というより作品の大多数がラーメンどんぶりでした。捏ねた後は、粘土を成形していく作業でした。蹴ロクロを回すのは楽しかったです。ただ、成形に失敗して捏ねからやり直しということが多かった気がします。やっとの果てできた器を糸でロクロから切り離すときの喜びは大きいものでした。

 上薬を塗るのもまた楽しかったです。上薬は粉状になっていてそれだけでは何色が出るのか
は検討がつきませんでした。なので、塗った器の窯入れを終えた後にコスモスへ足を運ぶときは胸が弾みました。当時の私にとっては赤と緑の釉がでると大変うれしかったものです。なぜならヴェロニカさんから赤と緑は滅多に出ないということを聞いていたからです。一度珍しくラーメンどんぶり以外に器を作りました。葉っぱの形をした小皿でしたが、「これが緑色になればなぁ」と期待を込め上薬を塗ったのを覚えています。結果、奇跡的に淡い緑釉の小皿が完成しました。あまりの嬉しさに学校の自分が一番大切にしているものを紹介する授業で2度ほど紹介をしたのを覚えています。

 私は知らず知らずに陶芸と絵が大好きになりました。それはなによりもヴェロニカさんの影響が一番だと思います。ヴェロニカさんは私がどんな作品を作っても褒めてくれました。それは単純にすごい、上手というだけの言葉でなく、こういった表現が素晴らしいとか凄く具体的なものでした。緑と赤の釉も単純に綺麗だ、という一言でなく、いかに稀なものでいかに表現が難しいものかを小学生低学年だった私に分かりやすく丁寧に説明してくれました。

 ただ褒められることばかりでなく注意を受けることもありました。それはある木を描いていて余った空間を青色で塗りつぶした時のことです。絵を見せたときヴェロニカさんは残念そうな顔をしていたのを覚えいています。その後ある絵を見せてもらいました。確か諸外国の子供たちが描いたものでした。太陽を描いたものでしたが、橙、赤、ピンク、紫とさまざまな太陽が描かれていました。空も同様に青だけでなくさまざまな色が使われていました。ヴェロニカさんは次のように教えてくれました。「何もない空間を青で塗るのは学校で教わる絵、いわゆる型にはまった絵ということです。太陽は必ずしも赤ではなく、人によってはピンク、紫ある人によっては黄色かもしれない。空も同じことです。学校で絵の勉強をすればするほどそういった先入観に囚われて感性が失われていくのは残念です。」

 私はそのあと、みたものを自分の感じるままに描こうと意識しました。あるとき、雨の海の絵を描いたときのことです。私は雨をどう表現するか考え、見えたままに雨を線で表現しました。それをみたベロニカさんは物凄い驚き様でした。雨を線で表現するというのは葛飾北斎がやったことと同じだというのです。このことは今でもよく覚えていて、北斎の浮世絵をみるたびにこのときの思い出と共に嬉しさと懐かしさがにじみ出てきます。

 ヴェロニカさんがどんな作品も具体的に評価ができるということはヴェロニカさん自身が持っている感性の賜物だと思います。あるときヴェロニカさんは私の住んでいる町の山をみて「山がやさしい」とおっしゃっていました。確かに、私の住んでいる町の山には急峻さはなく、どれも丸みを帯びた形をしています。ただそれは言われてみれば気がつくことで、山を意識したことなどそのときまで一度もありませんでした。そのときヴェロニカさんの持つ感性の奥深さをはじめて知ることができました。

 別の話ですが、ヴェロニカさんはロクロというものは恐ろしいと言っていました。なぜ恐ろしいのか私には全く見当がつきませんでした。ロクロは自分を集中へ追い込むというのです。手の微細な動きで器は刻々と変化していきます。そこに全身全霊集中することで自身の肉体はボロボロになったとおっしゃっていました。ロクロは器を作るために重要な役を果たしてくれます。そういうことから私だったらきっとロクロは大切なパートナーであるというイメージを持つと思いますが、ヴェロニカさんは「恐ろしい」と表現しました。ヴェロニカさんの感性は先入観に支配されず、みたもの・感じたことを真っ直ぐに表現ができるのではないかとこのとき思いました。
 そしてこのことからヴェロニカさんは一部ロクロの作品から手捏ねの手法に移すことにしたようです。ただ、それはロクロを諦めたのではなく、自身の肉体の状況を器に移し込め表現をしたいということでした。私はそれまで、陶芸は芸術作品というよりは日常雑器というイメージがあったのですが、このとき陶芸は芸術作品なのだと強く思いました。そして同時に感性も肉体と同様に生々流転、うつろいゆくものなのだと理解しました。

 私はたまにコスモスへ通わなかったら、そもそも新聞をみた母が私を連れコスモスへ連れて行かなかったら、いやそもそも新聞にヴェロニカさんの記事が載らなかったらと想像することがあります。私の現在の仕事は遠からず器を扱う仕事をしています。さまざまな要因があるとはいえ、コスモスへ通い器が好きになったことは今の仕事に始まり、私の人生に大きな影響を与えていることは間違いないと思います。また、ヴェロニカさんから教えていただいたことは人生だけでなく私自身の感性へも大きな影響を与え続けています。きっとヴェロニカさんと関わっていなければ私は芸術とは無縁の世界に身をおいていたかもしれません。ヴェロニカさんとの出会いに感謝したいと思います。

話が長々とそして飛び飛びで失礼しました。

by masa 
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by oochigama | 2008-03-20 15:25 | おもいで話