カテゴリ:おもいで話( 7 )
大地窯の森林について
こんばんは。
めっきり寒くなりましたが、皆さまご体調崩さずにお過ごしでしょうか。
部屋を掃除していたら、おととしの展覧会で使用したヴェロニカさんがお書きになった
「大地窯の森林」の文章が出てきました。ここにご紹介したいと思います。

 人と木の関係を思い出すと、だいたいの人が木にまつわるエピソードをもっている
ものです。それは、旅先でみた木や幼い頃遊んだ木かもしれません。木は人にとって
は兄のような、人同士の関係とはまた異なる特殊な関係にあると思います。
 私が日本に来て最初に住んだのが駒場東大前です。大家さんのお家の大きな庭にあ
る小屋に住んでいました。庭にある木は梅からもみじまで、日本の木々がすべて揃っ
ていてそこにはガマや蛇が住み着いていて都会のオアシスでした。しかし、庭にビル
が建設されることになり、私は立ち退くことになりました。私は家を立ち退くことは
あまり悲しいことだとは思いませんでした。ただ、木々が切り倒されることに深い悲
しみを感じました。
 次に私は北鎌倉に住みました。周りには立派な庭のある古い木造の家が私の住んで
いる周りにはたくさんありました。しかし、東京と同じように家は取り壊され、木が
伐採され次々とビルが建っていきました。私は逃げるように四方津へ移り住みました。
 四方津に来たのは山が急で、人間が開発することができないと考えたからです。
しかし、小高い山は削られ平らにされニュータウン開発が進みました。そして、私は
棚頭へ移り住みました。日本の山は戦後に植樹された人工林で覆い尽くされていたこ
とは知っていましたが、棚頭で何年もの間、毎日土掘りや山歩きをして自然の中で暮
らすことで、だんだんと体で植林の影響から自然のバランスが崩れているということ
がわかりました。この棚頭一帯はその昔、薬となる貴重な植物が生い茂っていて、神
社とお寺で研究をしていたようです。そうした貴重な植物も失ってしまいました。
 こうした現状を何とかしようと私はまず第一歩として自宅の周りを雑木林にしたい
と考えました。そして、雑木林を作るため湯呑の売り上げの一部を雑木林作りに使い
たいと考えました。なぜ湯呑かといえば、焼き締めの湯呑でお茶を飲むと茶の香りと
土の香りがよく合い、私たちに平和を運び、自然に目を向ける時間をくれるからです。
私はこの小さなプロジェクトを「大地窯の森林」と名付けました。プロジェクトは森
づくりに固まらないで芸術、人間の治療、子供たちの遊び場づくりなどを含めた活動
につなげていきたいと考えています。


この1年後に大地窯の森林は第一歩を踏み出しました。
雑木林になる日もそう遠くないでしょう。
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by masa
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by oochigama | 2012-11-09 00:13 | おもいで話
過去への旅―一冊の画集から―
こんばんは。2月に入りますます寒くなったように思えます。とくに昨日からの雪で久々
に寒い思いをしています。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
さて、更新もだいぶ滞ってしまいましたが、5日に久しぶりに大地窯を訪れたことをお知ら
せしたいと思います。今日は雪が降っていますが、その日は3月の気温と同じだったと
記憶しています。大地窯へは久しぶりでったのであれこれとヴェロニカさんとお話しをし
ました。まず、見せていただいたのが真新しい画集でした。分厚くて、私の実家にもある
ミレーやレンブラントの名画シリーズのような装丁で立派なものです。まだ出版されたば
かりのものだそうです。絵は人物画から風景までどちらかといえば抽象的に描かれたも
のでした。本文はドイツ語で書かれているので内容は分かりませんでしたが、Strasser
の綴りでヴェロニカさんのお父さんであることが分かりました。以前、ヴェロニカさんのお
父さんが画家だったことはヴェロニカさんに聞いたことがあったので知ってはいましたが、
作品を見るのははじめてでした。
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ページを開いていくとヴェロニカさんのお父さんの写真がありました。顔の輪郭や鼻の
形がヴェロニカさんにそっくりでした。とても格好いい紳士です。ヴェロニカさんのお母
さんの写真も載っていました。お母さんも綺麗な方で目と口元がどことなくヴェロニカさ
んに似ていると思いました。素敵な家族だったのだろうなと容易に想像できました。
束の間のタイムトラベルを楽しみました。
お茶をいただいていると、面白いコースターを発見しました。なんと大地窯印のコースタ
ーです。これは以前こちらでも「いちじくな日」 の記事を書いていただいたnさんの作品で
す。nさんとても素敵な作品でした。
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今後の大地窯の話や野田尻の昔話やコミュニティの話など話は尽きませんでしたが、
日も傾いてきたので帰ることにしました。いつも大地窯を訪れるとヴェロニカさんに元気
や様々な閃きのようなものをいただきます。家に帰ってから今回の窯焚きで作られた
器で私の好物であるサイダーを飲みました。ヴェロニカさんの器にサイダーを注ぐと
シュワーっと炭酸がある程度飛んでちょうどいい微炭酸になるので私はこの器でサイ
ダーを飲むのが好きでたまりません。至福の時間です。器にも元気をもらいます。
記事には書ききれませんでしたが本当にいろいろなことが起きた大地窯での半日
でした。また、この雪が落ち着いたころお邪魔したいと思います。
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by masa
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by oochigama | 2011-02-02 00:21 | おもいで話
半世紀前のクリスマスプレゼント
もう年末ですね。クリスマスイブでもあります。
そんなせわしい中、所用を兼ねてヴェロニカさん宅へお邪魔しました。
世間のせわしさはどこへやら、ヴェロニカさんのお家の中はゆっくりとした時間が
流れていました。
お茶をいただいていたところ、ヴェロニカさんが2体の土人形をみせてくれました。
1体は親指大で緑色の衣を纏った女性を象った人形でした。褐色の肌にちょこん
ちょこんと黒い点々とした目がかわいらしいです。髪の毛も細部にこだわっています。
もう1体はやはり同じくらいの大きさで動物を象ったものでした。
はじめは牛かと思いましたが、ヤクとのことです。ナデて表面を綺麗に整えているのが
印象的です。背には布とその上に鞍が乗っています。とても微細な点までつくりこまれ
ています。
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土人形をみているとヴェロニカさんがどこの国か分かるか尋ねてきました。
私はなんとなくでインドかネパールあたりだろうと答えました。
答えはチベットとのことで、ハズレとなりました。
なぜチベット人によって作られた土人形がここにあるのか。
ヴェロニカさんは語り始めました。

話はおよそ半世紀前のチベットに遡ります。
御存じのとおり半世紀前のチベットは動乱の中にありました。
1956年にチベット動乱が勃発し、1959年にピークに達しました。
この1959年にチベット政府であるガンデンポタンはインドのダラム
サラに亡命します。結果、大勢の難民を生み出すことになりました。
この際、各国で難民救済組織がつくられ救援活動を行いました。
ヴェロニカさんの故郷スイスは、難民発生の翌年に他国に先駆けて
難民の受け入れを決定しました。
こうした背景の中、ヴェロニカさんのご家庭では1963年にダラムサラ
から養子を迎えました。
それが当時11歳のネメイ(Nemey)さんでした。
ヴェロニカさんにチベット人の弟さんがいらっしゃる話は聞いていましたが、
こうした経緯は初耳でした。

さて、ヴェロニカさん姉妹は毎年クリスマスの日にプレゼントとして素焼の
人形を作って知人に配っていたようです。ちょうどクリスマスの1か月前に粘土
を購入し、形を作って焼いたそうです。この日は特別な日で普段宿題をしなさ
い等々口うるさいお母様も黙って、プレゼント作りに熱中させてくれたそうです。
ネメイさんを迎えた1963年のクリスマスの1か月前も同様にネメイさんを交え
ヴェロニカさんたちはプレゼントを作りに精を出していたようです。
このときネメイさんによってつくられたのが冒頭の土人形でした。
ネメイさんはカンパ族のご出身とのことです。カンパ族はチベット動乱の際、ダラ
イ・ラマをインド国境まで送り届けた勇敢な部族として知られています。
東チベット・カム地方の富士山より標高の高い、高原地域でヤクを遊牧しながら
生活しています。このヤクを世話するのは女性や子供の仕事のようです。
土人形は故郷を思い出してのことだったのでしょうか。

しかし、この人形は言葉では形容しがたいほどリアリティを持つものです。
言葉が通じなかったことや年頃もあり当時のネメイさんは心を閉ざしていたと
ヴェロニカさんは語ります。
言語・文化・信仰、ありとあらゆるものが異なる世界で閉じた心の支えは
瞼の故郷だったのかもしれません。粘土に触れた際、閉じられた心が開いた
とヴェロニカさんはおっしゃっていました。
閉ざされた心から解き放たれた感情や想い、記憶など溢れ出てくるものがこの
作品を生み出したのだと思います。
それは私がここで語るには語りつくせない、語ることのできないものです。
ネメイさんと粘土の出会いはそれほどの大きな画期だったと想像します。

これは土が人と人の心を結びつけたとも言えるのではないのでしょうか。
土の持つ可能性や潜在的な何かを感じられるお話でもあります。
また、この当時からヴェロニカさんが粘土にかかわっていたことも興味深いです。

お話のあとヴェロニカさんにコーヒーを淹れていただき、
お姉さんの手作りクッキーをいただきました。スイスから送ってくれたそうです。
お姉さんとてもおいしかったです。ありがとうございました。
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ヴェロニカさんのお宅に居たのは3時間程度だと思いますが、
半日以上いたような感覚がします。そしてどこか異国を旅して帰って来たような
感覚で帰路につきました。
親指ほどの小さな土人形には驚くべき重層的なドラマが秘められていました。

半世紀前のクリスマスプレゼントは確かに私の心にも届きました。

by masa
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by oochigama | 2009-12-24 22:06 | おもいで話
ヴェロニカさんと土器
こんばんは。ついに全国的に梅雨入りしましたね。じめじめとした日々が続きます。
そんな雨降る昨日、ヴェロニカさん宅へお邪魔しました。
1階の作陶場を覗くとロクロの上にかわいらしい湯のみがポツン、ポツンと佇んでおり
ました。その器たちを取り巻く工具を見るとそれこそ不思議なものが並んでいました。
その中でも貝殻や叩き具、なめし皮などは土器作りで用いられるものと全く同じでした。
そこで、ふと以前ヴェロニカさんが「縄文土器をみたい」とおっしゃっていたのを思い出しま
した。ということで、今から3年前の出来事を少しお話したいと思います。

私もまだ東京から山梨へ戻ってきて間もない頃でした。ヴェロニカさんとお会いするのは
確か4年ぶりだったと思います。2回ほどお宅にお邪魔したころ、「縄文土器をみたい」
とお願いされたのを覚えています。といいますのも私の職場には周辺地域で発見された
土器が保管されていたのです。私は一つ返事で「どうぞぜひお越しください」と答えまし
た。ヴェロニカさんに単純に土器をみてもらいたいという気持ちの他に、縄文土器とヴェ
ロニカさんが出会ったら一体何が起こるんだろうという好奇心や期待感に似た気持ちが
強くありました。

さて、ヴェロニカさんと土器が対面する日がやってきました。ヴェロニカさんを土器のある
部屋へ案内しました。ヴェロニカさんが土器を目にしたときの瞬間は部屋が不思議な
感覚で包まれていました。何とも形容しがたいですが、薄暗い大聖堂の石灰岩彫刻を眺
めているような厳かな感覚でした。土器はヴェロニカさんの腰よりも少し上の高さにあるほ
ど大きなものでした。
ヴェロニカさんは一言も口にせず、丹念に土器の文様を摩っていました。そして、別に用
意していた古墳時代の土器や平安時代の土器も手に持って丹念に至るところを撫でてい
ました。私は別に緊張する必要はないのに妙な緊迫感に捕らわれていました。それだけ
ヴェロニカさんの真剣さが醸し出す雰囲気に飲まれていたのでしょう。
そして、ポツリとヴェロニカさんが
「私は間違っていなかった。」
と口にしました。
私は頭の中がクエッションマークでいっぱいになり、じっと次の言葉を待ちました。
ヴェロニカさんはすっと二つの土器の底部をテーブルに並べました。
そしてようやく口を開きました。
「この土器の作者はこの底の粘土を外側から削って薄くしすぎたからまた粘土を内側から
張り付けてる。そして底は無駄に調整をせず、あえてこのギザギザを残している。」
「こっちの土器は底の粘土を厚くしている。とても丁寧。底もギザギザを削り取っている。」
「でも、この底のギザギザはとても好き、デザインになる。私も残している。そして底の
厚みは厚いものより、この薄手のものは技術的にとても難しい。」
「この薄手の底は私と全く同じ作り方。私が考えた技法だと思っていたけれど、
こんな昔の人も同じことを考えていた。私のやり方は間違えていなかった。」
とおっしゃっていました。

これはほんの一瞬のやりとりでしたが、私は3年経った今でもこのときの記憶が頭に
焼きついています。私にとってはそれほどに衝撃的でした。
何しろ土器の作り手の姿が土器を通して見えたのです。それは恐ろしいくらいの体験
でした。土器は土からできた土塊でしかないのですが、その裏には作り手がいました。
土を粘土に変え、粘土を練り、寝かせ、作り手が形を成し、炎で焼く。この流れの中に
確かに人間がいました。
私は無意識に作り手を意識から外し土器を眺めてきました。その意識の中に作り手の
存在が流れてきた時、今まで見てきた世界がガラッと劇的に変化し多様に花咲くよう
でした。そして土器は道具を超え、生き物にも似た息遣いが聞こえてくるようです。
ヴェロニカさんは土と人の関係を常々考えてきた方です。それは当時の私は知り得
なかったことですが、今となってはこれはヴェロニカさんの思索の賜物なのだなと思
います。いや、これは思索だけではたどり着けない領域かもしれません。
古代人と同じ技法を自然にみつけてしまったヴェロニカさんの意識は遥か遠い過去を
も旅してるのかもしれません。

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by masa
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by oochigama | 2009-06-23 22:49 | おもいで話
ヴェロニカさん宅へ
年度初めの慌ただしい最中、皆さまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。4月になり、桜が綺麗な季節になりました。山梨でもそこらじゅうで咲き誇っております。桜の名所として知られる大地窯の近くの大野貯水池はさぞ人で賑わっていることでしょう。

さて、大地窯の活動とは少し離れ私事ではありますが、3月にヴェロニカさん宅へお邪魔した時のことを少し載せたいと思います。今回は私一人でなく、父、母、弟、愛犬の5人(?)で大地窯を訪れました。

ヴェロニカさん宅に着くや否や愛犬ラブ(ラブラド-ル)がさっそくその傲慢さを発揮しておりました。ヴェロニカさんの愛犬ローくんの食事を横取りしたあげくにヴェロニカさんに食事をおねだりをするという暴挙に打って出ておりました。一体誰に似たのでしょうか(思い当たる節あり)。
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(カメラは決定的瞬間を撮影した)

さらにローくんのお気に入りの場所を占拠してしまいました。
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ただ黙って見ているローくん・・・
ごめんなさいのただ一言です。
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ヴェロニカさん曰くローくんがお気に入りの場所を取られて黙っているのは初めてだといいます。いやぁ、ジェントルマンですね。
そんな紳士的な対応にも関わらずそっぽをむき続けるラブ。
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(この近距離でも目を合わせないラブ)

最後にはヴェロニカさんの足にもたれかかって幸せそうにいびきをかいていました。

思い起こせば幼稚園時代からお世話になっていますが、おそらく家族勢ぞろいで大地窯を訪れるのはこれが初めてだと思います。とくに用事もなくお邪魔したのですが、相変わらずいつものように温かくお迎えしていただきました。今後また、こういった機会があればいいなと期待するとともに、今度はヴェロニカさんに私どもの家に遊びに来ていただきたいと思いました。

愛犬の話がほとんどでしたが、小春去り、本格的な芽吹きの春を待つ3月初旬の出来事をお届けしました。

by masa
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by oochigama | 2009-04-09 00:29 | おもいで話
陶芸教室の思い出(1988~1995)
 3月に入りだいぶ経ちました。先月までの寒さが嘘のように暖かい日が続きます。
暑さ寒さも彼岸までなどという言葉がありますが、今日のお彼岸初日はあいにくの
雨でそんな諺も実感することができません。そんな雨の休日皆さんはいかがお過ご
しでしょうか。退屈しのぎになるか分かりませんが、また少しばかり思い出話に耳を傾け
ていただければと思います。
今回は大地窯がまだ無く、ヴェロニカさんが陶芸・絵画教室をしていた頃のお話です。

 母親に連れられヴェロニカさんの教室へ行ったのは私がまだ幼稚園の年長の頃でした。
きっかけはヴェロニカさんの陶芸教室が地方紙に載ったことでした。その記事をみた母が教室へ行ってみようと私も連れて行ったのがはじまりでした。それから週一回教室へ足を運ぶことになりました。教室はコスモスという名で塾などのように形式ばったものでなく、枠にはまらない自由な創作活動の場でした。子供ながら学校とはずいぶん違うのだなと思ったのを良く覚えています。

 陶芸はとても印象深かったです。なにしろ自分で作りたいものが実際形になって出来上がるのですから、ウキウキと胸弾ませたものです。陶芸でまずはじめに行ったのが、粘土内の空気を抜くための捏ねる作業です。捏ねれば捏ねるだけいいいうことで、コスモスに通ってくる同年代の子とよく回数を競いました(たしか2000回が当時の最高記録でした、捏ねるというよりは叩いていましたが)。そして私が一番先に作ったのがラーメンどんぶりでした。というより作品の大多数がラーメンどんぶりでした。捏ねた後は、粘土を成形していく作業でした。蹴ロクロを回すのは楽しかったです。ただ、成形に失敗して捏ねからやり直しということが多かった気がします。やっとの果てできた器を糸でロクロから切り離すときの喜びは大きいものでした。

 上薬を塗るのもまた楽しかったです。上薬は粉状になっていてそれだけでは何色が出るのか
は検討がつきませんでした。なので、塗った器の窯入れを終えた後にコスモスへ足を運ぶときは胸が弾みました。当時の私にとっては赤と緑の釉がでると大変うれしかったものです。なぜならヴェロニカさんから赤と緑は滅多に出ないということを聞いていたからです。一度珍しくラーメンどんぶり以外に器を作りました。葉っぱの形をした小皿でしたが、「これが緑色になればなぁ」と期待を込め上薬を塗ったのを覚えています。結果、奇跡的に淡い緑釉の小皿が完成しました。あまりの嬉しさに学校の自分が一番大切にしているものを紹介する授業で2度ほど紹介をしたのを覚えています。

 私は知らず知らずに陶芸と絵が大好きになりました。それはなによりもヴェロニカさんの影響が一番だと思います。ヴェロニカさんは私がどんな作品を作っても褒めてくれました。それは単純にすごい、上手というだけの言葉でなく、こういった表現が素晴らしいとか凄く具体的なものでした。緑と赤の釉も単純に綺麗だ、という一言でなく、いかに稀なものでいかに表現が難しいものかを小学生低学年だった私に分かりやすく丁寧に説明してくれました。

 ただ褒められることばかりでなく注意を受けることもありました。それはある木を描いていて余った空間を青色で塗りつぶした時のことです。絵を見せたときヴェロニカさんは残念そうな顔をしていたのを覚えいています。その後ある絵を見せてもらいました。確か諸外国の子供たちが描いたものでした。太陽を描いたものでしたが、橙、赤、ピンク、紫とさまざまな太陽が描かれていました。空も同様に青だけでなくさまざまな色が使われていました。ヴェロニカさんは次のように教えてくれました。「何もない空間を青で塗るのは学校で教わる絵、いわゆる型にはまった絵ということです。太陽は必ずしも赤ではなく、人によってはピンク、紫ある人によっては黄色かもしれない。空も同じことです。学校で絵の勉強をすればするほどそういった先入観に囚われて感性が失われていくのは残念です。」

 私はそのあと、みたものを自分の感じるままに描こうと意識しました。あるとき、雨の海の絵を描いたときのことです。私は雨をどう表現するか考え、見えたままに雨を線で表現しました。それをみたベロニカさんは物凄い驚き様でした。雨を線で表現するというのは葛飾北斎がやったことと同じだというのです。このことは今でもよく覚えていて、北斎の浮世絵をみるたびにこのときの思い出と共に嬉しさと懐かしさがにじみ出てきます。

 ヴェロニカさんがどんな作品も具体的に評価ができるということはヴェロニカさん自身が持っている感性の賜物だと思います。あるときヴェロニカさんは私の住んでいる町の山をみて「山がやさしい」とおっしゃっていました。確かに、私の住んでいる町の山には急峻さはなく、どれも丸みを帯びた形をしています。ただそれは言われてみれば気がつくことで、山を意識したことなどそのときまで一度もありませんでした。そのときヴェロニカさんの持つ感性の奥深さをはじめて知ることができました。

 別の話ですが、ヴェロニカさんはロクロというものは恐ろしいと言っていました。なぜ恐ろしいのか私には全く見当がつきませんでした。ロクロは自分を集中へ追い込むというのです。手の微細な動きで器は刻々と変化していきます。そこに全身全霊集中することで自身の肉体はボロボロになったとおっしゃっていました。ロクロは器を作るために重要な役を果たしてくれます。そういうことから私だったらきっとロクロは大切なパートナーであるというイメージを持つと思いますが、ヴェロニカさんは「恐ろしい」と表現しました。ヴェロニカさんの感性は先入観に支配されず、みたもの・感じたことを真っ直ぐに表現ができるのではないかとこのとき思いました。
 そしてこのことからヴェロニカさんは一部ロクロの作品から手捏ねの手法に移すことにしたようです。ただ、それはロクロを諦めたのではなく、自身の肉体の状況を器に移し込め表現をしたいということでした。私はそれまで、陶芸は芸術作品というよりは日常雑器というイメージがあったのですが、このとき陶芸は芸術作品なのだと強く思いました。そして同時に感性も肉体と同様に生々流転、うつろいゆくものなのだと理解しました。

 私はたまにコスモスへ通わなかったら、そもそも新聞をみた母が私を連れコスモスへ連れて行かなかったら、いやそもそも新聞にヴェロニカさんの記事が載らなかったらと想像することがあります。私の現在の仕事は遠からず器を扱う仕事をしています。さまざまな要因があるとはいえ、コスモスへ通い器が好きになったことは今の仕事に始まり、私の人生に大きな影響を与えていることは間違いないと思います。また、ヴェロニカさんから教えていただいたことは人生だけでなく私自身の感性へも大きな影響を与え続けています。きっとヴェロニカさんと関わっていなければ私は芸術とは無縁の世界に身をおいていたかもしれません。ヴェロニカさんとの出会いに感謝したいと思います。

話が長々とそして飛び飛びで失礼しました。

by masa 
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by oochigama | 2008-03-20 15:25 | おもいで話
代官山での作陶展の思い出(2001)
c0150665_2215611.jpg2月に入りました。こちら山梨は雪がしんしんと降っております。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

こんな雪の寒い夜、退屈しのぎになればと
少しおもいで話でもさせていただこうと思います。
2001年に行った代官山での作陶展のお話をしたいと思います。


「ごはんぢゃわん展」と銘打った作陶展の招待状が当時の私の下宿先
に届いたのが、今から7年前になります。ヴェロニカさんとの付き合いは
古く、およそ20年ほどになります。
まだ大地窯がコスモスという美術・陶芸教室だった頃に私が生徒として通い
ヴェロニカさんがそこで先生をしていました。
ヴェロニカさんがコスモスを畳んだ後も交流がありましたが、
7年前のこの時点で、もうかれこれ5年はお会いしていなかっと思います。

私も久しぶりにヴェロニカさんにお会いしたいと思って、とくに連絡もせずに
作陶展へ出かけました。代官山は東京慣れしていなかった私にとっては
かなり敷居の高いお洒落な街というイメージがありました。
実際そのとおりで、駅からギャラリーへ向かう間は街の雰囲気に囚われて
足取りがおぼつかなかったのをよく覚えています。

そんな足取りでとぼとぼ歩いていると、どんどんと細い路地に入っていきました。
そこは大通りの印象とは違い、軒のそれほど高くない建物が並んで落ち着いた
雰囲気を醸していました。そんな一角にギャラリーがありました。
平屋建ての木造建築でその空間だけ時代に取り残されたような佇まい
をしていました。そして中に入ると懐かしい空気が漂っていました。
こういう空気は体が覚えているもので、ここがコスモスと同じ空気だと直感しました。
ギャラリー内は昔の日本家屋を思い起こすような木々を生かしたどこか懐かしい
空間でした。

そんな中に久しぶりにみるヴェロニカさんがいました。私が声をかけても
誰か分からなかったらしく、私が名乗ると目を丸くしてものすごく驚ろいて
らしたのを覚えています。私が最後にお会いしたのが中学1年生だったので
無理も無いでしょう。でもその時ヴェロニカさんは、何となく私が来るのではな
いかと思ったとおっしゃっていました。ヴェロニカさんの勘は非常に鋭く、時に予
知能力があるのではないかと錯覚さえしてしまいそうです。

「ごはんぢゃわん展」はその名のとおりご飯茶碗を中心とした作陶展でした。
ただ、並べられたご飯茶碗は私がコスモスでみたものとは大きくかけ離れてい
ました。ヴェロニカさんの陶器は釉薬を使ったものがほとんどでしたが、目の
前にあるものは鈍色をした重厚さを感じる作品でした。、器の表面に見え隠れ
する微細な岩石が、既製品の粘土を使用していないことを物語っていました。
そして器を手に持つとその外観とは裏腹に優しくすっと手に馴染みました。恐らく
5年間でヴェロニカさんの陶器は飛躍的に進化したのだなと、そしてヴェロニカ
さんの陶器へ対する挑戦がこの器から垣間見れました。

作品をみていると、ご飯を食べていかないかとヴェロニカさん手製の陶器でご飯
をいただきました。窯入れをした台風の夜にできた陶器の話や近況を交え、遅い
朝食をご馳走になりました。また上野原にも遊びに来てねとヴェロニカさんに見
送っていただき、私は帰路につきました。そのときは自分が今東京の代官山に
いることをすっかり忘れていました。
帰り道はなんとも晴れ晴れとした気持ちでした。

私はこのとき1つのご飯茶碗を購入しました。このご飯茶碗、不思議とごはんがおいしくなるのです。それと茶碗自体そんなに大きくないのですが、おなかいっぱいになるのです。そして7年経った今でも綺麗な鈍色を放っています。いや、7年前以上に色艶を増してきたように思えます。「ごはんぢゃわん展」を「ご飯茶碗展」としなかったのはひらがなの持つ優しさを表現したからだと思います。ですが、それだけでなく器自体の持つやさしさも表現したかったのではないかと思います。手に持ったときのあのやさしさはまさにヴェロニカさんの人柄そのものでした。

今後もこの“ごはんぢゃわん”でおいしいごはんをいただきたいと思います。

by masa
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by oochigama | 2008-02-03 22:07 | おもいで話